広島城と大本営跡

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今回は広島城の歩き方をご紹介します。所要時間は天守閣を除いて約30分程度です。天守閣内の展示見学をする場合は、更にプラス30分程度です。

縮景園からは、西へ続く大きな道、北に税務署や裁判所、南に合同庁舎があるその間の道を直線に歩いて、約10分で広島城に到着します。ちょうどRCC中国放送の建物の前から、見出しの写真のような感じでお堀を渡るようになっています。というわけで、広島市観光協会の注意を守って、あぶなくないように正面の石垣に向かって歩きます。

 

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この入口は、元々の江戸時代の城では裏門にあたる場所です。裏というのは通用口のような感じですね。この石垣の間に見張り用のやぐらや門があり、そして門の向こう正面の石段の上にもう一つ門がありました。周囲には多くの番所や蔵などがあった、城内の日常生活を支えていた場所です。

 

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石段を登って少し歩くと、広島大本営の建物跡があります。原爆によって広島城とともに崩壊して、このように基礎と礎石だけが残っています。

もともと、ここは江戸時代には郡役所や台所などとして使われていた本丸御殿があったんですね。明治になってからその場所に、軍の指令部として使うために短期でも天皇が住むことができる、広島鎮台司令部という名の洋風2階建ての立派な建物が建てられ広島大本営という機能を持っていたんです。

広島大本営というのは、日清戦争のときの軍の最高統帥機関です。つまり、この場所から明治天皇が戦争の指揮をとり、日本軍が朝鮮半島を攻略するための軍事作戦や司令をここで出していたわけですね。そして城の周囲には多くの軍部隊や軍の施設、軍練習場などで囲まれていました。広島城全体がそういった機能を持っていたわけです。

この司令部の建物は日清戦争が終わった後、原爆で崩壊するまでの間は、文化財として保護され広島城とともに一般公開されていました。

 

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これは江戸時代までの城内の建物図と、天守閣を入口正面方向から撮ったところです。この石段のところも、もともとは建物で覆われていたんですね。

この石段をのぼると、天守閣に入ることができます。

広島城天守閣 大人370円、高校生及び65歳以上180円、中学生以下無料

 

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南側にも石段があります。石段の下は、現在は護国神社と芝生広場になっていますが、ここは江戸時代の城の正門を入ったところで、いわば玄関口にあたる場所なんですね。広場は侍さんたちの馬場や射場だったんです。つまり、お城の正面から入ろうとしたら、戦闘姿のお侍さんがいるところを通らなければいけないようになっていたんですね。

広島は江戸時代から城下の南側に町が広がっていました。お城は町のある方に正門があり、正門の外側はお侍さんたちの住居があり、中には馬場や射場があるような作りだったようです。

明治になってからは、もとの正門から入った場所、これまで統治していた天守閣の前に洋風の軍事司令室が建てられ、そして玄関前のお侍さんが守っていた場所には、護国神社が建てられました。明治政府は軍事は侍を軍隊に、そして神仏分離を行い人々が神社を崇めることを政策的に進めていましたが、この広島城の明治初期の変わる様は、その意図が垣間見える、面白い場所でもあります。

 

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二の丸の前にある表門です。江戸時代にはこういう形で城が囲まれていたんでしょうね。

 

 

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